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横浜地方裁判所 昭和62年(モ)1347号 判決 1988年4月14日

債権者 澁谷建設株式会社

右代表者代表取締役 澁谷孝雄

右訴訟代理人弁護士 長谷川昇

債務者 和田トシ

右訴訟代理人弁護士 大石徳男

同 道本幸伸

主文

一  債権者と債務者間の横浜地方裁判所昭六二年(ヨ)第一三三号不動産仮処分申請事件について、同裁判所が昭和六二年二月一六日なした仮処分決定はこれを認可する。

二  訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者

主文と同旨

二  債務者

1  主文第一項掲記の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)を取り消す。

2  債権者の本体仮処分申請を却下する。

3  訴訟費用は債権者の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  債権者は、昭和六〇年四月八日、債務者との間で、訴外真下久平(以下「真下」という。)所有にかかる別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)上にある債務者所有の同目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を次の約定で買い受ける旨の契約を締結した。

(一) 代金 金七七〇〇万円

(二) 支払方法 (1) 契約日に手付金一〇〇万円を支払う。

(2) 残金は、昭和六〇年八月末日までに、所有権移転登記手続と引き換えに支払う。

(三) 特約 本件は、借地権付建物の売買であるところ、債権者は、本件建物を買い受けた後、同所に新たに堅固な建物を建築する予定であるため、債務者は、地主から、借地権譲渡及び借地条件変更の許可を得ること

そして、債権者は、債務者に対し、右契約の成立と同時に手付金として金一〇〇万円を支払った。

2  債権者は、その後売買残代金を準備して債務者からの連絡を待っていたが、同年八月末日近くなっても債務者からは何らの通知もなかったため、仲介業者である訴外株式会社オレンジボード(以下「オレンジボード」という。)を通じて債務者に対して契約の履行方を催促したところ、債務者の代理人から現在地主と交渉中であるが、いまだ話がつかないので、しばらく待って欲しいとの連絡があったため、右期日は延期となった。

しかるに、債務者は、その後も契約を履行しようという意思は全くないばかりか、地価が高騰するに及んで債権者以外の第三者に高く売りつけようと画策しており、仮に、本件建物の名義が移転してしまえば、将来債権者が所有権移転登記手続訴訟に勝訴しても、その目的を達することは不能ないし著しく困難となる恐れがあるので、保全の必要性も認められる。

よって、本件仮処分決定は正当であるから、その認可を求める。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1の事実は認める。

2  同2の事実は否認し、争う。

なお、後記のとおり、本件売買契約は、手付金倍戻しにより解除されたため、昭和六一年一二月、本件建物を第三者に売却したものである。

三  抗弁

債務者は、債権者に対し、昭和六一年一一月一八日、受領ずみの手付金の倍額である金二〇〇万円を返還するので、契約を解除したい旨申し入れたうえ、翌一二月一七日、金二〇〇万円を提供して解約権を行使したが、債権者が右金員を受領しなかったため、翌日横浜地方法務局厚木支局に金二〇〇万円を供託した。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて認める。

五  再抗弁

債権者は、本件売買契約成立後、直ちに訴外株式会社住友銀行大和支店に赴き、関係書類を添付して融資の申し込みをなし、その了解を得たものであって、債務者の準備が整い次第、いつでも残代金の支払をなしうる状態にあったものである。

また、債務者が地主と交渉するにあたり必要とされる書類等については債務者の求めに応じてその都度送付するなどして、適宜かつ迅速に処理対応してきたものである。

しかるに、債務者は、その後、債権者が前記オレンジボードを通じて再三再四契約の履行を督促してきたにもかかわらず、契約成立から一年以上もの長期間にわたりこれを放置してきたうえ、地価が暴騰するや、第三者に転売したものであって、債務者の態度は極めて不誠実かつ不信義といわざるを得ない。

いずれにしても、本件においては、債権者はすでに売買契約の履行に着手したものというべきであるから、債務者は、もはや手付金倍戻しによる契約の解除権を行使することはできなかったものである。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

履行の着手とは、単なる内部的な履行の準備とは区別される履行の現実化した段階をいうものと解すべきところ、債権者は、金融機関に対し、正式な融資申し込みは行っていないし、残代金の支払予定日に現金又は小切手を用意するなど通常履行の着手にあたるとされるような行動は全くとっていない。

そもそも、本件売買契約において、売買残代金の支払時期について一応の定めがなされているが、これは単なるひとつの目安にしかすぎず、最終的に地主の借地権譲渡等の承諾あるいは許可が得られない限り、履行期は未到来であるというべきである。

次に、債務者は、売買契約成立後、債権者自らあるいは前記オレンジボードを通じてでも、一切履行の催促を受けたことがなく、また、地主との交渉に必要な債権者会社の登記簿謄本や図面等を早急に送付するよう依頼していたところ、右書類が送られてきたのは、前記残代金の決済日以降であって、その後も債権者は何ら履行の催促をしないまま、長期間放置してきたものであって、債務者としては、もはや債権者には履行を求める意思はないものと考えざるを得なかったため、手付金の倍戻しによって契約を解約するのが適当であると判断して前記解約の申し入れをしたものである。

第三疎明《省略》

理由

一  被保全権利について

1  申請の理由1(本件売買契約の成立及び手付金の交付)並びに抗弁(手付金倍戻しによる解約の申し入れ及び供託)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、進んで、再抗弁(履行の着手)について検討する。

まず、本件売買契約が締結されるに至った経緯及びその後の経過等をみてみるに、《証拠省略》を総合すると、次の各事実を一応認めることができる。

(一)  債権者は、従業員四四、五名を擁し、主として土木建築請負を業とする会社であるが、昭和六〇年三月ころ、自社建物の隣接地にある債務者所有の本件建物が売りに出されているという噂を聞き及び、当時適当な駐車場が無かったことから、右隣接地に新たに自社ビルを建築して現在地を駐車場として利用することを計画し、債務者に直接本件建物の買い受けを申し込んだところ、債務者から右売却の話はすべてオレンジボードに任せてあるとの返事であったため、直ちに同社に架電し、担当者の訴外高橋晃宏(以下「高橋」という。)に対し、仲介の事実を確認したうえ、数日後同社において更に右高橋に対し、債権者会社の事情を説明する一方、その際、同人から本件建物の敷地は借地であり、以前地主の真下との間で紛争があったが、現在ではすべて解決し、賃貸借契約も更新されている旨知らされたこと

(二)  その後、債権者は、前記高橋を通じて債務者との間で売買条件について交渉を重ねた結果、売買代金総額は金七七〇〇万円とすることで合意ができたが、その際、手付金については債権者側では是非確保しておきたい物件ということもあって、金一〇〇〇万円から金二〇〇〇万円程度でもかまわない旨の意向を伝えていたところ、債務者から本件は借地権付建物の売買であり、しかも堅固な建物を建築することが予定されており、したがって、いずれにしても地主の承諾あるいは裁判所の許可を必要とするので、手付金は金一〇〇万円程度でよいといわれたことから、結局金一〇〇万円に決定したものの、残代金の決済と所有権移転登記及び引渡時期については、当時流動的な要素が多分にあったため、とりあえず高橋らの意見等を参考にして昭和六〇年八月末日と定め、仮に右期日までに地主の承諾が得られないときは当事者間で協議したうえ、延期することもできるという含みをもたせることとし、その結果、本件売買契約が成立するに至ったこと

(三)  そこで、債権者は、右売買契約成立後、残代金の支払を準備するため、直ちに取引先である訴外株式会社住友銀行大和支店に赴き、前記売買契約書のほか、公図や本件建物の図面等を持参して事情を説明したうえで融資方の申し込みをしたところ、従前の取引実績等もあって、債務者から連絡があり次第、同銀行では融資を実行する旨の了解が得られ、その結果、いつでも残代金の支払ができる状態で債務者側からの連絡を待っていたところ、昭和六〇年四月中旬、債務者の代理人が債権者方を訪ね、地主に対して近く借地権譲渡並びに借地条件変更の承諾をもらうべく交渉に入るが、仮に右承諾が得られないときは裁判を起こす予定であること、その際には必要な書類を用意してもらうことになるが、そのときには別途連絡する旨いわれたことから、債権者は、そのまま待機していたが、一向に連絡がなかったため、前記高橋に数回地主との交渉経過を聞いても、いずれもその都度、「少し待ってくれ。」と返事をするのみで余り要領を得ないまま、同年八月中旬になり、履行期限も近づいてきたことから、同月下旬ころ、再度右高橋に事情説明を求めたところ、裁判が長引きそうなので、会社の登記簿謄本や建築予定図面等を準備して欲しい旨いわれ、また、債務者代理人からも同様の依頼があったため、とりあえず同月末日の期日は延期する一方、右必要書類を準備したうえ、同年九月下旬ころ債務者代理人に送付したこと

(四)  しかるに、その後、数か月間が経過するも、債務者や前記高橋からは、履行を催促するような通知もなく、債権者が経過説明を求めても、相変わらず「少し待って欲しい。」との返事を繰り返すのみで一向にらちが開かず、そのうちに地主の真下が死亡したとの風聞に接したことから、交渉が難航しているものと推測して様子をみていたところ、昭和六一年一一月に突然債務者代理人が債権者方を訪れ、手付金の倍戻しにより本件売買契約を解約したい旨申し入れるに至ったものであること

以上の各事実が一応認められ(る。)《証拠判断省略》

ところで、民法五五七条にいう履行の着手とは、債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし、または、履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合を指称するものというべきところ、これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、債権者は、契約当初残代金の決済及び移転登記手続の実行日として一応当事者が予定していた昭和六〇年八月末日が近づいてきたことから、取引銀行と連絡をとりいつでも残代金の支払ができるように手配をする一方、予定どおり履行が可能か否か、債務者側の仲介業者でもあるオレンジボードの高橋に確認したところ、地主との交渉が難航しているのでしばらく猶予を欲しいといわれ、やむなく右期日を延期することを承諾したけれども、債権者は、その後もいつでも残代金を支払えるよう手配をすべて了し、更に地主との借地権譲渡等に関する交渉に必要とされる関係書類も債務者にいわれるままに取り揃えて手渡し、あとは債務者から地主の承諾ないしは借地権の譲渡許可がおりたとの連絡を待つばかりの状態で待機していたところ、その後債務者側からは一向に経過報告もないまま時が推移し、債権者の方から債務者や前記仲介業者のオレンジボードに対し、再三進行状況を尋ねても、その都度現在交渉中であるとの返事が返ってくるのみで、その結果、債権者は、債務者側に仮に地主との交渉が予想外に手間取ったという事情があったにしても、当初の契約締結日から一年半以上もの長期間待たされたのち、突然手付金の倍戻しにより本件売買契約を解約する旨通告されたというものであって、なるほど本件においては、債権者において右解約の申し入れを受けるまでの間に残代金を現実に債務者に提供して履行を求めたという事情はなかったにしても、すでにみてきた本件売買契約の特殊性並びに契約締結後の前記経過等に照らすと、本件では債権者に残代金の現実の提供がない限り履行の着手があったといえないと解釈するのはあまりに債権者側にとって厳しすぎるといわざるを得ず、解約手付の設けられた趣旨等を十分斟酌し、更に本件の特殊事情等を総合すると、本件では債権者に一応履行の着手があったものと認めるのが相当であり、他に右認定を覆すに足りる疎明ないし事情は見当たらない。

3  以上みてきたところによると、債務者のなした手付金の倍戻しによる本件売買契約の解約申し入れは、相手方当事者である債権者がすでに一部契約の履行に着手している以上、効力を生じないものというほかない。

そうすると、債権者は、いまだ残代金の支払と引き換えによる本件建物の所有権移転登記手続請求権を有しているものというべきである。

二  次に、保全の必要性の有無につき検討するに、前記認定事実及び《証拠省略》によれば、債務者は、本件仮処分決定のなされる二か月前にすでに本件建物を訴外日立建設株式会社に対し、代金一億一〇〇〇万円で売却していることが一応認められ、そうすると、他に特段の事情がない限り、将来の前記登記請求権の本執行を保全するため、本件仮処分を維持しておく必要性も大きいものというべきである。

三  以上によれば、債権者の本件仮処分申請は、一応その被保全権利の存在及び保全の必要性とも疎明されているというべきであり、そうすると、本件仮処分決定は、結局相当であるから、これを認可することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 板垣千里)

<以下省略>

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